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長崎家庭裁判所佐世保支部 昭和50年(少ハ)1号 決定

少年 D・N(昭三一・一二・二〇生)

主文

少年を昭和五〇年七月二日まで、医療少年院に継続して収容する。

理由

一、本件収容継続申請の要旨は、少年は昭和四九年六月三日当裁判所において、昭和五〇年六月二日まで医療少年院に戻して収容する旨の決定を受け、福岡少年院に収容中であるところ、同少年院入院後、昭和四九年九月二八日院長訓戒を一回受けただけで、昭和五〇年一月一六日には一級の下の処遇段階に無事進級するに至つたものの、同年一月中旬から二月中旬の間下級院生に対する暴力行為等を繰り返し、同年三月八日謹慎二〇日の処分を受けたため進級が遅れ、在院期間満了日(同年六月二日)に一級の上に達することができなくなつたこと、一方少年は夜間大発作型の真性てんかんの診断を受けており、知能は限界級で劣り、性格的には未熟さが目立ち、特に意志欠如性、即行性が顕著で、入院後、以前の自己中心性や固執性は相当矯正されたが、前記処遇経過に照らせば少年の犯罪的傾向はいまだ矯正されたとは認め難いこと、また、少年を受け入れる保護環境については、保護者の引受意思は窺えるものの、社会復帰後の少年の職業生活等具体的生活設計もできておらず、今後の環境調整になお時間を要することなどの理由により、少年を収容期間満了後、さらに四か月間収容継続する必要があるというにある。

二、ところで本件調査記録によれば、少年は昭和四七年七月三日当裁判所において、窃盗非行により医療少年院送致の決定を受けて福岡少年院に収容され、昭和四八年一〇月四日同少年院を仮退院したが、右仮退院中窃盗非行を重ね、昭和四九年六月三日当裁判所において犯罪者予防更生法四三条一項に基づき昭和五〇年六月二日までの一年間の期間を定めて医療少年院に戻し収容する旨の決定を受け、再び福岡少年院に収容され現在に至つていることが認められる。

そうすると、本件は、いわゆる戻し収容による在院者に対する収容継続申請であり、しかも二〇歳未満の者が、二〇歳未満の期間を定めて戻し収容された場合の収容継続申請であるので、まず申請自体の適否について検討する必要がある。

思うに、二〇歳未満の者を犯罪者予防更生法四三条一項に基づき戻し収容する場合、戻し収容は仮退院中の者を少年院に戻して本来の収容状態に復帰させるものであるから当然二〇歳まで収容できるとして、一定の期間を定める必要はないと解する余地は十分にある。しかし、右解釈は、犯罪者予防更生法四三条一項が、二〇歳未満の者の戻し収容について、期間を定める必要を特に排斥していないことから、法文解釈上無理があるばかりか、本来戻し収容は、新たな少年院送致とは異なり、一応少年院における矯正訓練を受けて社会復帰した仮退院中の少年に対し、遵守事項違反ないしその虞を理由に再収容するものであつて、本人の人権保障上、一定の期間を定めることに合理的根拠が認められることからすれば、二〇歳未満の者を戻し収容する場合においても一定の期間を定める必要があり、この場合裁判所は、諸搬の事情を考慮して二〇歳未満の期間を定めることもできるものと解する。

以上を前提に考えれば、裁判所が二〇歳未満の者に対する戻し収容の決定において、二〇歳未満の期間を定めた場合は、本来不定期処遇を原則とする二〇歳未満の少年に対し、人権保障の趣旨から特に定期処遇を命じたものであり、かつ、当該少年においても期間満了による退院を期待し、その期待に応えることが当該少年の裁判所に対する信頼をつなぐ所以であるから、収容少年院においては右期間に拘束され、期間満了後、収容継続申請することは原則として許されないものといわなければならない。(収容継続についての根拠法規たる少年院法一一条も、かかる場合の収容継続について法文上予定していない。)

しかしながら、他面、少年保護事件においては、少年本人の矯正教育を目的としており、ここから可能的に形式性が排除され、具体的な処遇過程に則した処置が求められることも論を俟たないところであつて、前記の場合、例外的に少年院法一一条の規定を準用して収容継続を認容することも許されると解するが、それは真にやむを得ない事由のあるときに限り、かつこの場合、収容継続期間は、少年の処遇状況等具体的事情に照らし、前述の期間の定められた趣旨を没却しない範囲で必要最少限に止どめることを要するものと解する。

三、そこで、本件について検討するに、調査記録および審判の結果によれば次の事実が認められる。

(一)、少年は昭和四九年六月三日前記戻し収容決定を受けて福岡少年院に収容され、爾来、二級の下に編入され、園芸学級に属して比較的順調に進級を続け、昭和五〇年一月一六日には一級の下に進級したが、その後間もなく、同年一月中旬から二月下旬の間、院内において反則行為を起こし同年三月八日謹慎二〇日の処分を受けている。

(二)、右謹慎処分を受けた反則行為の主な内容は、同じ班に属する下級生の少年に対し「コトンキユー」と呼ばれる行為に及んだこと(これは、相手の少年に、大きく息を吸わせたあと、その少年の胸部を背後より両手で強く締め、失神状態に陥し入れるもの)と、他の上級生の少年と共に、下級生の少年から給食物を数回に亘り強要して不正喫食したことである。

(三)、少年は、順調に行けば昭和五〇年四月下旬に一級の上に進級する予定であつたところ、右謹慎処分により進級が一か月半遅れ、期間満了日(同年六月二日)に一級の上に達することができなくなつたこと。

右謹慎処分を受け終えた同年三月二七日以降、少年には反省の態度が窺え、事故なく二か月余が経過していること。

(四)、少年は、真性てんかんの疾病を有し、知能的にIQ七六と劣るが、これらの生来的資質より、むしろ、家庭内の過保護的教育を要因として、性格的に未成熟で、意思不安定性、即行性が著しく、これらの資質を背因に非行を重ね、戻し収容となつたが、今回の収容後、以前の自己中心性、嘘言癖は相当矯正され、年齢の経過とともに一応の自覚がみられる。

(五)、少年を受け入れる保護環境については、両親に引受意思は認められるが、少年の社会復帰後の保護方針・保護態勢の確立、ことに職業指導の具体化については、若干の時間を要する状態である。

四、以上の事実から、少年の収容継続の要否およびその期間について判断すると、少年が昭和五〇年一月中旬から二月下旬の間院内で引き起こした反則行為、ことに前記「コトンキユー」と呼ばれる行為は、単調な院内生活の中で一種の遊びとして行われたものとはいえ、一歩誤れば生命の危険を伴なうもので、それ故に院側においても、少年を謹慎二〇日という最高の処分に付しており、少年の非行要因たる即行性ないし安易性の矯正が未だ十分でないことの発現と認めざるを得ない。従つて、当裁判所としては、少年院法一一条一項ないし四項を準用して少年を医療少年医に収容継続することはやむを得ないと考えるが、その期間については、少年は右反則行為について院内の謹慎二〇日の処分を受け終え、その後二か月余無事故で経過し、反省と自覚の態度が生じてきていること、六月中旬には一級の上へ進級予定であること、その他保護環境の調整に要する期間等、諸般の事情を考慮すれば、当初の期間満了日から昭和五〇年六月二日一か月間を相当と思料する。

五、よつて、本件申請は理由がある限度でこれを認容することとし、少年院法一一条一項ないし四項、少年審判規則五五条により主文のとおり決定する。

(裁判官 佐藤武彦)

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